島之内教会たより -2008年10月第2号発行-

「御言葉に聴従する信仰を」

牧師 大門義和

聖書の世界は私たち、人間の常識だけでは理解できません。聖書の教えと私たちの常識は大きく異なります。全く逆といってもいいほど違います。マルコ福音書に1章、2章だけでも、私たちの常識とかけ離れています。

マルコ福音書1:14以下の御言葉でも、主イエスが「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と語られています。ヨハネが捕らえられた時ですから、人間的には「神の国が近づいた」というよりも、「神の国は遠のいた」と思われます。しかし、主イエスは「時は満ち、神の国は近づいた。」と言われます。

最初の弟子たちも、私たちであれば、都、エルサレムの人々の中で、聖書をよく勉強した学識も、地位も、名誉もある人々を選ぶでしょうが、主イエスは彼らから軽蔑され、見下されていたガリラヤの漁師を弟子に選ばれました。私たち、人間の常識と主イエスの常識は違います。

私たちの周りで誰が主イエスを一番正しく理解できる人はだれでしょうか。聖書についての知識を豊かに持っておられる方、教会生活の長い方、信徒よりの牧師や神学者と答えるかもしれません。本当でしょうか。聖書の中で主イエスを最初に正しく理解したのは聖書の隅々まで知り抜いていた祭司や律法学者やファリサイ派の人々や長老ではありません。マルコ1:21以下をみますと、「ナザレのイエス、かまわないでくれ、我々を滅ぼしに来たのか。正体は分っている。神の聖者だ」と最初に主イエスを「神の聖者」と正しく理解したのは汚れた霊に取りつかれた男の人でした。

私たちの常識では、神様は正しい人を招き、祝福すべきです。しかし、主イエスは「わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである」(マルコ2:17)と明確に教えておられます。「わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである」との聖書の御言葉に聴き、想起している間は、御言葉に従わねばと信仰者らしくなれますが、聖書の御言葉から目を離すと、「神様は正しい人を招くために来られたのであって、あなたのような罪人を招くためではない」と人を非難したり、教会から締め出してしまう危険、罪に陥ります。

信仰者は聖書について、より多くのことを知ること以上に大切なことは、「私に語られた主の御言葉」の一つを握りしめてその御言葉に聴従することです。その時に、従え得ない不信仰に気づかされます。そして、悔い改めて、「神様、罪人のわたしを憐れんでください」(ルカ18:13)と祈りが心の底から生れることが信仰です。

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最後の礼拝

和田純子

7月に大門牧師が礼拝の中で祈られ、小林キヨ子さんがご病気だと知りました。最初は足でも痛められたのかと思っていましたが、役員会の時に病気が重いと知らされました。聖歌隊でいつも一緒に歌っている小林さんの病状が気になりながら、ようやくご自宅へ電話を掛けたのは8月23日土曜の夜でした。息子さんが出られ、「体がだるく、都島の医療センターで7月の始めに精密検査を受けた。」「1週間の検査は身体に辛かったのによく頑張った。」「膵臓に影があると言われた時には覚悟をした。」と話してくださいました。しばらくしてキヨ子さんに繋いでくださり直接お話ししました。「何でわたしが?信じられない!」と言いながらも冷静な口調で、膵臓癌で肝臓に転移し治療出来ない状態であること、介護申請をし自宅に居ること、昨日ヘルパーさんに頭を洗って貰ったことなど話されました。もう一人では動けずかなり進行している状況だと判りました。「明日、島之内教会へ行きます。最後になると思う。」と言われたので、「アシュラムで明日は大門先生は留守で、西田先生だ」と伝えたところ「西田先生の説教が聴きたいので礼拝に出る」と言われました。

私は24日は司会に当たっていたので受付当番の餅野さんと役員の林さんに、小林さんが礼拝に来られるのでよろしくと伝え、いつ彼女が現れるかと心待ちにしていました。小林さんにとって島之内で聴く最後の礼拝説教「永遠の命」をどんな思いで聴くのか、また死に向き合った今だからこそ今日の聖書のメッセージを聴いて欲しいと願っていました。しかし小林さんは現れませんでした。出て来られないほど悪いのかと心配で残念な気持ちでした。礼拝堂を出てお茶の会があるので一階に降りようとしたところに、小林キヨ子さんが約束通り現れたのでびっくりするやら嬉しいやらでした。ご家族に両脇を抱えられて階段を上がるのも苦しそうでした。カナホールで皆さんに迎えられた小林さんはすでに黄疸があって、お腹が張って腹水がたまっているのが見て取れました。しっかりした口調でゆっくり皆さんと話され、そこにいた誰もが驚きと喜びの気持ちで本当によく来てくださったなぁと感激しました。その日は第4週で聖歌隊の練習日でした。そのままカナホールで小林さんに賛美を聞いて貰いつつ、いつもどおり聖歌隊の練習をしました。ソファに横になり賛美していた小林キヨ子さんの穏やかなお顔とお姿が今も心に残っています。

その夜、小林キヨ子さんが聴きたかった礼拝説教を、急がないともう時間がないとテープを編集し、翌日送りました。病状の悪化と闘いながら小林さんがテープを聴いたかどうかは知るよしもありませんでしたが、キリスト者としての歩みを続け、いつもしっかりとした口調で話されるキヨ子さん、神様からのメッセージをしっかり受け止めて天国に帰られることをただ祈っていました。

その日からわずか三週後の9月14日聖日早朝、天に召されたとの訃報が入り、翌日の葬儀の準備と連絡で午後は慌ただしく過ぎました。葬儀の日お会いした娘さんは悲しみの中にも晴れやかに、キヨ子さんが手紙を喜んでくださり、テープを繰り返し聴いていたと伝えて下さいました。“ああ御言葉が心に届きよかった”と思いました。最後になるからと島之内の礼拝に出ようとして駆けつけて教会員の皆さんに会い、礼拝には間に合わなかったけれど、説教をテープで聞いてくださって本当によかったと心から思いました。最後の時まで“教会へ御言葉を聴きに行こう”と思われたあなたの一途な信仰、わたしも見習いたいと思います。

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そなえたもう主のみち

池田さかゑ

小林キヨ子姉妹は、9月14日薬石効なく77才の生涯を終え、静かに神さまの御許に召されました。親しく交わり育てられたこの島之内教会で告別の集いを行うことができましたことは、この上なく幸いでございます。

キヨ子姉妹は、1931年1月31日片町にて誕生、1948年12月19日島之内教会にて受洗され今日に到ります。戦後、ご両親との死別、一人娘は、孤独になりました。その後、小林氏と結婚、二人の子供を授かり年月とともにそれぞれに成長されました。孫も与えられて幸せな余生を信仰と共に歩んでいました。ところが7月中旬より体調を突然崩し、病魔と向き合うこととなりました。想像以上の病気でした。彼女は、それを受け止め、がんばると言ってくれました。にもかかわらず2ヶ月余りでこんなに悲しい出来事となりました。とても残念なことです。

ふりかえれば、キヨ子姉妹との出会は、25年余りも前の片町でした。私は友人宅を探していました。その時、教会で顔見知りの小林さんと偶然出会ったのです。二人は驚きました。隣保であった小林さん宅にも案内されました。小林さんは、その後、枚方に転居されました。それぞれの立場も違い、境遇も違う二人がしっかりと神さまに繋がれていたのでしょう。教会を通し、いつも小さな幸せを求めながら行動を共にしていました。聖歌隊にも励みました。もうあなたの美しい声も聞けません。楽しいこと、つらく悲しいこと、たくさん、たくさん話しました。もう話すことはできません。残念です。

最後にあなたに話したいのです。
「なぜ、私より先にいそいでいかねばならないの」

あなたは、いつもの調子で答えるでしょう
「地上の生涯には限りがあるのよ」と。

いくら神さまの愛のあらわれと認めながらも・・・・。その愛に自分を委ねられたあなたの信仰を今、つくづく、うらやましく思っています。戦後の苦しい時代から神を信じる信仰に希望と期待を持ち続け、真剣に生き抜かれましたキヨ子さん、ほんとうにご苦労さまでした。安らかに。この世の旅は天国へとうつりました。そして永い間の友情をありがとうございました。

「神よ、この世の旅を終わらせ、わがふるさとにいこわせたまえ・・」 また、会う日まで、さようなら。

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