島之内教会たより -2009年12月第7号発行-

「罪人を真ん中に迎えるクリスマス」

牧師 大門義和

ユダヤ教の礼拝では真ん中に律法の巻物が置かれ、それを祭司が厳かに、大きな声で読み上げ、人々はそれを聴く。中央の律法の一番近くに祭司職、次に有力な男子、その外に女性や子供、そして、中央から一番遠い会堂の隅に障害を持つ人が申し訳ないようにいた。それは人間社会が生み出すルールである。

主イエスは、会堂の真ん中に誰を迎え入れたでしょうか。主イエスは手の萎えた人に、「真ん中に立ちなさい」と言われ、また、「手を伸ばしなさい」と言われ癒させた(マルコ3:1以下)。それrを見ていたファリサイ派の人々は出て行き、早速、ヘロデ派の人々と一緒に、どのようにしてイエスを殺そうかと相談し始めた。

ユダヤ教では、神様に傷のある動物を捧げてはならないと信じていたように、障害のある人を神様の前に出るにふさわしくないとの教えが伝統として出来上がっていた。手の不自由な人を会堂の真ん中に迎え入れることは、神様を侮辱するに等しいことであり、そんなことをする主イエスを殺さなければならないと思うほどであった。ファリサイ派の人々は、平素は敵であるヘロデ派の人々とも平気で手を結んで、主イエスを殺そうとした。神様の独り子主イエスさえ、敵と手を結んで殺す悪魔性が私たちの心の内に潜んでいるのである。

ユダヤ教徒が自分の命よりも大切な律法を置いた会堂の真ん中に、主イエスは手の萎えた人をお招きになった。これがユダヤ教とキリスト教の分岐点でもある。

キリスト教では律法よりも大切なものは人である。神様は独り子主イエス・キリストの命を捧げて、取るに足りない私たちに生きる希望を与えていて下さる。

主イエスの御降誕は、罪人を真ん中に迎え入れて下さる神様の御心の見える「しるし」である。何の努力もなく、愛せる人を愛したり、重んじることのできる人を重んじても、主イエスの弟子とはいえない。私たちの心の中で、もっとも遠い人、拒否したい人に、「どうぞ、真ん中へおいでください」と主イエスを迎える心が最もクリスマスにふさわしい心である。

旧約聖書時代の指導者も、身内や親しい仲間だけで楽しみ、新しい人や障害を持った人々を仲間に迎えず、隅に追いやっていた。それを疑問に思わず、当然と思っていた。古き仲間だけが美味しいものを食べ、弱者や貧者を仲間に入れない生き方に対して、神様は明確にノーと言われた。

主イエスは当時の社会で貧しい農機具造りのヨセフを父として、貧しい家庭に生まれたマリアを母として誕生された。神様の御心は、地位や財力のある者が真ん中に座る生き方ではなく、弱人、貧者を真ん中に迎える社会、教会を形成することである。

主イエスはルカ福音書15章の「見失った羊」のたとえで、「1匹の羊を見失ったとすれば、99匹を野原に残して、見失った1匹の羊を見つけ出すまで捜しまわらないだろうか。そして、見つけたら、・・・友人や近所の人々を呼び集めて、『見失った羊を見つけたので、一緒に喜んでくれ』と言うであろう」と教え、また「悔い改める1人の罪人については、悔い改める必要なない99人の正しい人についてよりも大きな喜びが天にある」と教えている。

多くの人は99匹を大切にする。しかし、迷い出た1匹を大切にする主イエスによって、全ての罪人が赦され救われたように、弱者や貧者を大切にする1人の人によって、教会は清められ、主イエスの教会へ成長していくのである。誰を真ん中に迎え入れるべきかを想起しながらクリスマスを迎え、歩んで行きましょう。

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思い出〜過去・現在・未来〜

松村光

4月18日、西原明帰天。東京での前夜式、葬儀。大阪での記念礼拝、演奏会、偲ぶ会。多くの方々にお集まり頂き誠にありがとうございました。

私にとって島之内教会は「公私、ごちゃごちゃの場所」でした。祖父母の時代からの牧師館でしたので古く使い勝手が悪く汚い。訪問される方が多かったこともありますが誰でも勝手に出入りできる家でした。カナホールは劇団プロメテの道具がたくさんあり、本番には化粧のにおいが充満する。島之内寄席をやっていたころは、ここが礼拝堂?と驚くほど畳敷きの会場にかわる。宣教師一家や難民の人が暮らしていたこともあります。自殺防止センターに助けを求めに来た方もいらっしゃいました。音楽会や演劇、テレビロケなどにも使われ観光名所的な教会にもなりました。

教会に来ていい人の「条件」などないのですが、ミナミの真ん中にある教会で何が出来るかを考え実践した父でした。島之内ほどすべての人を受け入れる教会はなかったのではないかと思います。いつも誰かが教会にいて、語り、祈り、時には酒を飲みながら(父はホームレスの人たちともよく話をしていました)、皆で島之内教会をつくっていったと思います。普通の家庭でない生活に嫌な時もありましたが礼拝堂は私にとって心地良い場所でもありました。作詞をする歌手や祈る高校生、そんな姿を見たこともありました。他の人にとっても心地よい場所だったのではないかと思います。

両親が東京に移住し、私は何年も島之内に行くことがありませんでした。何度か牧師が変わり、教会に来る人も変わり、外部を受け入れることをやめ、人がいない暗い「建物」に変ったと聞きました。最近やっと少しずつ門が開かれようとしています。父の記念会では、たくさんの方が島之内教会を忘れず来て下さいました。懐かしい思い出が沢山よみがえりました。

「帰ってきたのだな」と感じました。私だけではなく集まって下さった多くの方がそう感じていたようでした。私には故郷がありませんが、島之内が私の故郷なのだと思います。共に語り、祈り、ここに教会があることを忘れないように。ミナミの真ん中に教会を作って下さった方、土台を築いて下さった方、私たちは受け継いでいかねばなりません。再びみんなの心地よい場所になるように門を開いていければと願います。よろしくお願いいたします。

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「祈りの集い」の仲間に入れて頂いて

八尾喜光恵

島之内「祈りの集い」の初めての日(2008年5月30日)に「スポーツジム」をお休みして「心の体操にきました。」と云うと、大門牧師は「それは良い事だ。」と云ってくださった事が今でも思い出されます。

「リビングバイブル」の中から聖書のお勉強をさせて頂いております。「リビングバイブル」はキリスト教の専門用語をできるだけ使わずに原典の意味が理解しやすい、最も適した言葉で書かれております。

私がいままでにお勉強させて頂いた箇所は「ガラテヤ人への手紙」、「ヤコブの手紙」、「エペソ人への手紙」です。毎月、各一章を輪読し、次に、「静聴」と云って、各自でもう一度読みます。次に、「恵みの時」と云って、自分の感銘を受けた節と何故その聖句を頂いたかをそれぞれにお話します。そして、お祈りに入ります。 ご出席の方は色々と深い人生をお話して下さいますが、私は未だ未だ浅い事に気付かされました。

皆様も時間が許されましたら是非の参加をお待ちしております。

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編集後記

島之内教会だより」は年4回、3ケ月ごとの予定で発行しています。12月版(7号)を皆様のお届け致します。原稿をいただいた方々に感謝します。
島之内教会は11月19に文部科学省の「登録有形文化財」に登録されました。また、皆様のご協力で一階の部屋の改修、礼拝堂の長椅子の修理整備(長さを同じに調整、きしみ音の改善、椅子の背の聖書入れ部分の改善)も出来ました。みんなで主イエスを見上げ10年、20年後の島之内教会を夢見つつ、祈りつつ前進していきたいと願っています。編集員:岩木、黒田。

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