島之内教会たより -2010年5月第9号発行-

「新しい墓地について」

牧師 大門義和

島之内教会の墓地は、1981年に教会員の茨木・富田家から譲渡されました。また、100周年の時期に見つかった上原方立初代牧師の墓地を教会員のご尽力で島之内教会が使用権の譲渡を頂きました。この度、この2つの墓地を大阪市に返上し、新しく同じ大阪市設南霊園内の入口近くの1区にある、藤中家の墓地(17坪)を大阪市の許可を得て、譲渡を受け、墓地の移転も無事終えることができました。感謝です。

2008年7月に、信仰の友、上野道子姉(藤中 泰兄の孫。番町教会員)が島之内教会の礼拝に来られ、一緒に墓参もいたしました。その時、お孫さんたちもそれぞれ別に墓地をお持ちとのことでした。半分は本気で、半分は冗談で、「この藤中墓地を島之内教会に譲渡しませんか、お世話しますよ。」と話しました。

約1年後、上野姉が他の藤中家のお孫さんたちとも相談くださって、譲渡してもよいとの知らせを頂きました。早速、教会の執事会(役員会)に諮り、譲渡の交渉に入ることに同意を頂きました。大阪市とも相談しましたが、「個人の墓地の法人への譲渡は認めていない」との返事でした。何度かの交渉(相談)の中で、「教会の墓地と上原牧師の墓地の返上と、藤中墓地の使用権譲渡」を提案させていただき、可能性が出てきました。上野道子姉に電話をし、墓地の譲渡を依頼しました。早速、藤中泰兄のお孫さんのお二人が東京と藤沢から島之内教会へおいでくださり、譲渡の快諾を得ました。

原則的に、大阪市は「個人から法人への譲渡」認めていませんが、最初で最後と言われていた浪花教会の書類を見せてくださり、メモさせてくださいました。また、直接、浪花教会からも提出書類のコピーを頂きました。

藤中家の皆様にも、何度もご無理を言って、いろいろな必要書類をお願いしました。そして、2009年12月に大阪市に墓地譲渡関係書類を提出し、2010年1月に例外的に認められそうだと連絡をいただきました。返上する2つの墓地を更地にすることが条件でした。その間、墓地の移動の経費について、前川石材店と相談し、移転準備に入りました。

2010年1月31日の臨時教会総会において、「教会墓地と上原方立牧師の墓地の大阪市への返上と藤中墓地の譲渡」の議案を承認されたので、追加書類を提出しました。2010年2月16日付けて、藤中墓地を島之内教会の墓地としての使用権が認められました。不思議な神様のお導きに感謝します。また、広くなりましたので、維持管理にも皆様のご協力をお願いいたします。

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「見なければ信じない」と言ったトマスのために、イエスさまは、再び来られた。

川島信一

ヨハネ 20:24−29

私は、20〜30年前いつかは憶えていませんが、島之内教会の集会(勉強会)である人から「あなたはトマスのようだ」と言われました。その人は良い意味で言ってくれたのだと思いますが、私にはチョットしたショックでした。何故なら、私は、自分を「見て・触って確認しなければ信じない」傾向があると思っていたからです。

イエス様が来られたときその場にいなかったトマスは「・・・手の釘の跡を見、・・・この手をわき腹に入れてみなければ、決して信じない」といいます。八日の後、イエスさまは再び来られて、手や腹の傷を触らせ、「信じない者ではなく、信じる者になりなさい」と言われ、「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである」と言われる。

私は時々自分はどうして洗礼を受けたのかと考えます。わたしは、トマスのようにイエスさまを見て確認して信じたのか、2000年前のイエスさまと直接会えるはずがありません。私は「イエス様を見た」のでありません。イエスさまの言われたように「見ないで信じる」しかないのですが、わたしには、「見ないで信じる」ことができていたとは思えません、ただ言えることは、なにかがわたしを教会へ導いたということだけです。

本当に「見ないで信じる」ことができるのか、私には今でもわかりません。しかし、12使徒以後の人たちはイエス様を見ていないのです。ペテロT・1:8には「あなたがたは、キリストを見たことがないのに愛し、今見なくても信じており、言葉では言い尽くせないすばらしい喜びに満ちあふれています。」と書いてあります。この手紙は90年代(組織的迫害が始まりだした頃)に書かれたと考えられています。

そして聖書を読み「見ないで信じる」人の群れが2000年続いたその先に、今、島之内教会がここにあるのだといえます。

私は、洗礼を受けることは、信仰の終点ではなく出発点だと思っています。「見ないで信じて」洗礼を受けることができる人は、イエスさまが言われるように「幸い」な人だと思います。わたしは、神さまにつかまえられて何もわからないまま、洗礼を受けた、そこから、私の信仰生活が始まりました、そしてまだ途中なのだと思っています。

「信ずることの出来なかった」トマスのために、来てくださったイエス様の愛に希望を持ちたいと思います。

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「共に祈りましょう」

阿部昌弘

私たちは人として絶えず何かの不安を心に抱えています。家族の事、仕事の事、経済的なこと、何の不安もない人はほとんどおられないと思います。私たちキリスト者は、そんな不安の中にあっても主イエスを信じて祈る事を知っています。

島之内教会にあってはどうでしょう、一個人でなくても人の集まる所にそのグループの持つ不安があるものです。島之内にあっては(これは多くの教会も同じだと思いますが)10年後、20年後どうなるのだろうかと不安に思ってしまいます。ではどうしたらいいのでしょう。何とか伝道して人を増やさないといけないのでしょうか。ではどのように伝道したら良いのでしょう。

私たちにはどうしたら良いか、ただ思い迷うばかりです。でも教会の長い歴史を見るなら、そう心配しなくてもいいかもしれません。主イエスの復活からコンスタンチヌス帝によるローマ帝国における公認までの280年余りのあいだにも迫害されながらも決して滅びてしまう事はありませんでした。復活の主が共にいてくだされる教会は、決して滅びません。それは今でも宣教伝道の先頭にはイエス様がいて下さると言う事です。私たちがどう伝道しようかと思いわずらう事はありません。

でも同じ大阪の中でも多くの教会があり、それぞれの教会でもきっと主イエスの助けを求めて多くの祈りがささげられていると思います。ですから島之内教会の宣教伝道の先頭にイエス様がいつもいてくださるよう共に祈りましょう。 

この島之内の地に福音の灯火を高くかかげる事ができるように、祈祷会の復活をと願っています。週の中日の水曜日や木曜日が無理ならば、日曜日の礼拝前に「祈りの会」を守れたらと祈っています。

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「引き出し」

中島絢子

「あっ 困った! 一体どこへしまい込んだかな」 先日より大切な書類をどこかへしまいこんだまま、あるいは紛失したのか、不安の中で探し回る事態が起こった。おまけに、提出日が迫ってきている。必死な思いで記憶を呼び戻したが、頭の中は真っ白!

人間はこの瞬間、何らかの手をつけてもよいものか・・・、ただ、ウロウロ同じ行動を繰り返すものだなぁと思いながら。いつも大切な物を入れておく引き出しを何度ひっくり返した事だろう。「?」「?」の繰り返し。

誰でも大切な物は、恐らく「引き出し」に片付けないだろうか。大事だからこそ「ひとまずここへ!」と放り込むものではないか。いや、これは、わたしだけのいい加減な性格が犯す業かも・・・と反省と後悔の中で、ひたすら祈る思いで探すこと1日半。

ふと、この行動を繰り返してるうちに、「ひとまずここへ」という行為と思いは、わたし自身の信仰を振り返る機会となった。物と信仰とを置き換えてはならないのだが、わたしの信仰の曖昧さを感じた。確かに、引き出しは保管には便利であり、安全であるべきものだが、こと信仰に関して考えるときに、「ひとまずここへ」の信仰は自主的でない気がしてならない。信仰とは吟味すること、確かめるもの、何よりも、日々新しく造り変えられるべきものであるはずが、大切に後生大事に保管しているだけのものであって良いのか―と不思議に心が動かされる気がした。決断のない信仰を神は嘆いておられるはずである。引き出しを開けずにいる自分こそ、まさにその姿かと思った。不完全、不信仰、そして、傲慢な自分に、いつも呼びかけられる神の声に「主よ、お話ください。しもべはここに居ります」とおこたえできるためにも、引き出しの中で大切に保管するばかりの信仰を、もう一度考え直すことができた気がする。「信仰は自分の弱さに気づくこと、自分に失望することこそが信仰の入り口」と、いつか説教で教えられた。今回の一連の出来事から、それが「今だ!」と気づかされた尊い機会となり、感謝だった。

ちなみに、探していた大切な書類は、思いがけないところから見つけられた。

不思議な、不思議な体験の一つであった。

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編集後記

今年度最初の教会だよりが、皆様のご寄稿により発行できますこと、感謝です。教会だよりは皆様からのご寄稿により成り立っています。今思っていること、ご意見、何でもお寄せ下さい。よろしくお願いします。(編集委員 土橋薫、岩木要)

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