島之内教会たより -2013年9月第22号発行-

「神様に甘えるられる温かい信仰を」

牧師 大門義和

8月にカトリックの黙想の家で集会を持った。

庭に主イエスの生涯を黙想する道があるほど広く、庭というよりも森である。建物は古いが、迷うような大きな屋敷である。

3日間その黙想の家で御言葉に静聴しながら自分の今後のこと、島之内教会のことに集中して想いめぐらしていた。それ以外に、カトリック信者は、なぜ、このようなお屋敷を教会のために寄付できるのであろうかと信仰に違いを考えさせられた。

それは、主イエス・キリストを想起する違いではないだろうか。カトリック教会でほぼすべての部屋に十字架の主イエス・キリストが掲げられたり、置かれている。それは十字架の主イエスを忘れないためには良いことである。

我々、プロテスタント教会は礼拝堂以外にはほとんど十字架は置かれていない。それは、十字架がなくても、自分の心の中に常に鮮やかに十字架の主イエスを思い起こすことができると信じてきた。神学的にはそうであっても、日曜日の礼拝生活以外の私たちの日々の生活の中でどれほど主イエス・キリストの十字架を鮮やかに想起できているだろうか。立派な言葉と現実の信仰生活は大きく遊離していないだろうか。むしろ、カトリック教会のように、各部屋に十字架の主イエス・キリストを飾ることは、人間の弱さを認めた良き配慮といえるのではないだろうか。

我々、プロテスタント教会は、少し知識の信仰に傾き過ぎているのではないだろうか。大切なのは、むしろ、生活の中での信仰を立て直すことが必要ではないだろうか。

カトリック教会からの学ぶべきことは、十字架の主イエス・キリストを生活の中でも想起できる信仰ではないだろうか。私たちが献金や捧げものをする時、心に、誰を、何を想起しているだろうか。私のための主イエス・キリストの十字架の贖いを鮮やかに想起して、感謝を持って捧げているだろうか。

主イエス・キリストを想起するよりも、自分の教会や牧師や役員を見て、判断していないだろうか。これはプロテスタント教会の宿命でもあるが、自分の教会を突き破って、十字架の主イエス・キリストを鮮やかに想起できるように、目を覚ましていなければならない。

「主は言われた。『この民は、口ではわたしに近づき、唇でわたしを敬うが、心はわたしから遠く離れている。彼らがわたしを畏れ敬うとしても、それは人間の戒めを覚え込んだからだ』」(イザヤ29:13)と神様は私たちに諭している。人の言葉を耳で聞き、それを直ぐに口で語るだけの信仰を反省しなければならない。

「口耳の学」という言葉がある。性悪説を唱えた荀子(紀元前315〜230年)の言葉で、「君子(賢者)の学は、耳より入りて、心につき、四体につきて、動静にあらわる。・・・小人(愚か者)の学は耳より入りて、口に出ず、口耳の間は四寸のみ、なんぞもって七尺の身体をかざるに足らんや」

耳で聞いたことを直ぐに口に出すことの愚かさと、聞いたことを身体全身にまわらせて、十分に考え、瞑想して語ることの大切さを教えているのでしょう。

人の言葉に左右されることなく、サムエルのように、「主よ、お話しください。僕は聞いております」(サムエル3:9)と静まって神様に聴くことが信仰者の姿勢です。

人を見る信仰生活ではなく、十字架の主イエス・キリストを鮮やかに想起し、生活の全てが神様に栄光を帰す信仰者へチェンジしよう。

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「出会いに感謝」

谷佑紀子

今年4月末、大門義和先生のお導きにより、私共夫婦はイエス様を信じ、洗礼を受けさせていただき、皆様のお仲間に加えさせていただきました。

1997年(平成9年)に父を、1999年(平成11年に母を見送りました折、生前に父から自分の名前が大好きだから、この名前のままでに見送られたいと申しまして、どうしたものかと考えあぐねておりました。足の悪かった父は、あまり外に出られませんでしたが、毎月一度倉敷茶屋町教会の牧師様がお見えになり、2時間程お話をするのが大変な楽しみでございました。

ある日入院している父の病床に牧師様がお見えになり、「私にすべてまかされております」と言われ、洗礼を受けさせて下さいました。びっくり致しましたが、両親のおだやかな安心した顔を今だに忘れることはありません。

このことがあり、私もいつかは、洗礼をと思いつつも忙しさにかまけ、10数年がたってしまいました。

主人が70歳になりました頃、後々のことを話しておりましたら、僕も倉敷のように、自分の名前で逝きたいなーと言いだし、私もそうやねーと相ずちを打っていましたが、その内にと思いつつ日がたちました。

今年一月、ずーと元気で、病気等と縁のなかった主人が急に体調をくずし、思いもかけず、末期の膵臓癌と宣告されました。本人もなかなか受け入れることが出来なく、とりあえず専門の病院をと走りまわりました。良い先生方と良い病院に巡り合い、入院致しました。しかし、心のケアーに悩んでおりました。

私が10数年かかりつけの整形外科の先生の待合室にいつも聖書がおかれているのを思い出し、奥様にお話しましたところ、即、大門先生を御紹介していただき、京都の病院までおいで下さり、洗礼を受けさせていただきました。私の胸にずーと持ち続けていました心のわだかまりが、すーととけていく、そんなきもちで安らぎを覚えました。この安らぎは今もずーと残っております。

出会いということは、なかなか難しいことでございますが、大門先生により、キリスト様との出会い、主人が小学校、中学校と通っておりました側の島之内教会との出会い、日曜日の礼拝での皆様との出会い、これらの出会いに感謝を込めまして、これからの日々を過していきたいと願っております。

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「牧野恵子さんの葬儀に感謝」

前塚嘉一

主の御名を讃美します。

昨日(7月31日)は主の教会、島之内教会にて、大門義和先生の司式のもと、教会員の皆さんの参列をえて、無事、牧野恵子の告別式を終えることができ、感謝です。

大門先生の力強いメッセージ、土橋薫さんの音楽の力、教会員皆さんの讃美の歌声に感動致しました。

はじめてキリスト教式葬儀に参列した方々、とりわけ若い孫たちは大きなインパクトを感じたことでしょう。心に残し、育てていってほしいと願っています。

牧野恵子さんと結婚し、2人の娘が与えられましたが、人生の途中で別々の生活を選択しました。子育てと仕事の両立の艱難は今も変わりませんが、30年前の当時、小豆島に帰っていた私の母に子どもたちの面倒を見てもらえることになりました。

惠子さんにとっては毎日、子どもに接することができないのは少し淋しかったろうと思いますが、その分仕事に集中し、生涯最後まで教職を全うすることができたと思っています(上のみかるは主学校5年生、下のるつよが3年生の時でした)。

生真面目で厳しい面しか言わなかった次女が、今となっては、母との楽しいことが思い浮かぶと言っています。長女みかるも今、子育ての真最中、無事、喪主を務めてくれました。

教会員、とりわけ、川島さん、黒田さん、和田さんは私の若い時からのお知り合いです。信仰の火を今も燃やし続けておられることに感動致します。

土橋さんの奏楽、八尾さん、林さん、近藤さん、河野さん、足達さん、ご参列ありがとうございました。そして、教会員の皆さまのお祈り、ありがとうございました。

牧野恵子さんを通して島之内教会は改めて私の母教会であることを感じております。

現在、私は熊取伝道所の日曜礼拝、水曜日の聖書の集いに出ておりますが、島之内教会の第4金曜日「祈りの集い」の参加を祈っています。

ありがとうございました。

編集後記

  • 神様との新しい出会いも、島之内教会に以前おいでだった方との再会も、わたし達の信仰に力を与えて下さいます。頭でなく心で祈れるようにと願っています。皆様のご協力で、22号を発行出来ますことを感謝いたします。次号は12月のクリスマスです。原稿をお願いします。(編集委員:江口恵子、土橋薫)

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