島之内教会たより -2015年1月第27号発行-

「ルカによる福音書10章27節」

牧師 木戸定

クリスマスになると思い出す映画があります。1946年のアメリカ映画『素晴らしき哉、人生』(It’s a Wonderful Life)です。
 主人公・ジョージ・ベイリーは家業である建築貸付組合の仕事をするかたわら、たくさんの子どもを持つ父親でもありました。ほかの若者がそうであるように、彼にも実現したいアメリカンドリームがありました。しかし、父親の急死によって不本意ながら家業を継がなければならなくなってしまったのです。さまざまな夢を諦め、町一番の有力者の圧力にも屈せず、真面目に働き事業を好転させましたが、ある出来事によって、クリスマスの晩に川に飛び込んで自殺を図ります。そこへ、天使の位をあげるために、まだ翼を持っていない二級天使・クラレンスが現れ、「生まれてこなければよかった」という主人公に、それじゃ、あなたが生まれてこなかった世の中がどういうものであったのか、その様子を見せます。
 彼が生まれてこなかった世の中、妻は独身のまま、子どもはいません、町は有力者のしたい放題、・・・そんな様子を見せられ、主人公は自分が夢を諦めたその代価としてどれほど社会に貢献していたかということを知ることになります。そして、わが家に帰り、・・・グランドフィナーレです。
 忍耐し、我慢していると、堪忍袋の緒が切れ、爆発する時がきます。体調も壊してしまいます。むしろ、これは御心だと受けとめ、従容として受け入れがたきを受け入れる境地を育むことによって捨てるべき「こと」や「もの」を捨てることができる時、心は平安になり、病気になることもないだろうと思います。ジョージ・ベイリーは、なかなかその境地にまで達しませんでしたが、それでも数々の夢をあきらめ、受け入れがたきを受け入れてきました。
 イエスさまの母マリアも妊娠を告げられたとき、それは受け入れがたき現実でありました。彼女は、恐れた、と聖書に書かれています。正式に結婚もしていない時に、妊娠したことが公になると姦淫の罪で石打の刑になります。マリアにとっては大変厳しい現実です。天使は、言葉を尽くして彼女を落ち着かせ、説得しています。その殺し文句となったのは「神にできないことは何一つない」というものではないでしょうか。
 それを聞いて、マリアは、ようやく「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身になりますように」と言っています。それを聞いて、天使も安心したのか、聖書には「そこで、天使は去って行った」と記されています。
 ジョージ・ベイリーが生まれ、さまざまな夢がありながら不本意ながらそれを捨て、苦悩し、生きたことによって、助けられた人がいました。救われた人もいました。幸せになった人もいました。
 マリアが、「お言葉どおり、この身になりますように」と言って受け入れがたき現実を受け入れたからこそ、神さまのご計画が実現したのです。
 そして、神さまのご計画を実現するのはマリアだけではありません。私たちも神さまの救いのご計画に関わりのある一人ひとりです。罪深い自分の姿を見ると、こんな私に何ができるのかと言いたくなりますが、神さまは平凡な一人ひとりを通して御自分の御栄光を現される方でもあります。
 「自分さえよければ良い」、そんな自己中心的な思いで生きていれば、神さまの御心を具現することはできません。損か得か、得をすることばかり求めていても駄目だと思います。損をして我慢しても限界があります。マリアが天使の助けを得て、「お言葉どおり、この身になりますように」と言うことができたように、私たちも天使の助けがあることを信じて御言葉と格闘しなければなりません。
 大切なことは、私たちが主イエスに従って生きることによって、慰めや希望、信仰や励まし、平安や癒しが与えられて、救わる人がいるということです。誰の人生も、人生を終えてその来し方を振り返ると、「素晴らしき哉人生」(It’s a Wonderful Life!)と言えるような生涯を神さまは用意してくださっているのです

このページのトップへ戻る

共に祈るコミュニケーション

博野英二

教会で過ごす時間の中で、私が好きなのは兄弟姉妹とともに共に祈る時です。
それも声を出して一人一人の祈りに耳を傾ける時間です。

共にいてくださる神様に、一人一人が向かい合い、祈る時間。
この時、私たちは誰一人、自分が正しい、自分が完全であるとは主張できません。
不完全で罪あるこの身でありながら、それでもなおいまここで共にいてくださり、私たちを導いて下さる方に感謝し、そしてありのままの自分を受け容れてくださる方に祈りを捧げます。この祈りを側で聴く時、私はその人のありのままの姿を初めて理解することができるような気がするのです。

その方がおられない中で、いろいろな考え方や価値観を持つ私たちがそれをぶつけあう時、どちらが正しいという議論になりがちです。
こうした時、私には相手の人をよりよく理解することができません。

でも私たちは誰一人自分が正しいことを断言できないように思えます。
弱い私たちを受け容れてくださる方と共にある時、私たちは初めて互いを受け容れ合うことができるのではないかと感じます。

 

主の慈しみによって、互いに祈り合える教会になることを祈っています。

このページのトップへ戻る

「島之内教会思い出あれこれ」

内海龍三

1948年学制改革で中学校(男子)と 女学校が交流して新しい新制高校として発足。 三好は泉尾高校、仲本は今宮残留、内海は南高校に分かれてバイブルクラスも株分けすることになった。

南高校は、近隣の島之内教会に指導を受けることになった。 当時の河瀬伊勢子伝道師の指導の下、順調に発展した。その後「公立学校における宗教活動は禁止」という進駐軍命令も、カリキュラムに取り入れて言うわけではない、と解釈してもらって潜り抜けた。

当時共学の弊害として、中学校と女学校の教科の進め方が違い、英語・数学など男子にとっては物足りないし、 国語などとてもついていけなかった。
三好君の薦めで、島之内キリスト教英学院(夜学)に行くことにした。当時大阪教会に通っていた私は、島之内に移ってから竹内先生の説教はどうにも難解だったが、英学院で毎週月曜日に持たれる礼拝は、何名かの牧師先生たちの応援で持たれた。大阪教会の市川先生の明快な説教をさらにくだいて非キリスト者向けの説教は、ぐいぐいひきつけられたことを記憶する。

お偉い人たちの集まっていた大阪教会からバイブルクラスの都合とはいえ、島之内教会に移ることになって、家庭的な暖かさの漲る雰囲気と英学院の英語を通して世界を知る校風の中ですっかりキリスト教ベースの生き方を見つけたように思う。
爾来、ずっと島之内教会中心の生活をしてきた。

島之内教会の中で育てられ、会社生活の転勤、転勤の時代も定年後の外国暮らしも、現在の老人ホームでの暮らしも、島之内時代に身につけた日曜礼拝を軸に暮らしていくという基本姿勢を貫くかぎり、どんなところで生活しても 朗らかに暮らしていける。
今年、西原由記子姉の納骨式に招かれ、島之内の皆様にお会いでき、一層、母教会としてのありがたさを確信させてもらったところです。
広島の時の広島南部教会の牧師先生のお名前は、二神三男先生です。三好仲本と同じ昭和30年、同志社新学部卒の方です。旧制大学卒業して、東京神学大学で学んだ西原明さんも、30年卒ではなかったかな。
教団騒動のころ造反派の仲本君が「君の兄貴の西原君は、俺が大阪教区長に推薦してやったのに反旗を翻しやがった!」とどくついたこともありました。同じ仲本君が、後年、わが部の若い社員の結婚式に出席した重役さんに、松下電工の内海君は私の親友ですと言ったそうです。その重役さんが、仲本牧師の説教に感激したと言っていました。義兄のことをぼろくそに言う旧友にショックを受けたが、私の上司は「君は素晴らしい友人をもっているね」と言ってくれた。仲本についての思い出話です。彼も三好も60歳で若死にした。残念ですが、牧師としての受けるべきプレシャーが強かったのでしょうか。

このページのトップへ戻る

「アドベントクランツ講習会」

和田純子

「今年はアドベントクランツを作りたいね!」との希望がクリスマス委員会で、出されました。「誰か作れる人はいるかしら?」「頼める人は?」すぐに伊丹教会の藪本聖子さんを思い浮かべました。
電話を掛けると「喜んで行きます」との返事を頂きました。11月22日(土)に実施することを決め、講習会の参加者を募りまりました。
当日藪本さんは沢山の材料を持って、2時前にカナホールに出向いて下さいました。予定の2時半には参加者が揃い、教会用の大きいのと、個人用の一回り小さいもの2個を皆で手分けして作製しました。講師から花材の説明・前もって準備するもの、植物には虫がいるので充分に殺虫剤で処理をし、水で洗っておくことなど懇切丁寧な説明がありました。今後自分たちで作製出来るようにしっかり聞きました。手際よく常緑樹の枝をアクアリングに挿していく講師の手元を見、私たちもやり方を真似ながら、出来上がりが時計回り一方向になるように挿していきました。全体にバランスよく挿すことを心がけました。キャンドルを立てるキャンドルピックの位置を決めてしっかり挿し込み、更にこのキャンドルピックが見えないように緑で覆う感じでヒバ・さつま杉・アイスブルーの枝を挿し、アクセントにユーカリの枝を挿しました。松かさ・鮮やかな赤りんご・サンキライの赤い実・ゴールドや白のボールを常緑樹の輪に、次々あしらって挿していくと、常緑樹からの香りに包まれ、心が温められるような素敵なクランツに仕上がりました。木の枝を挿すと素朴な感じが出るよと教えられました。クリーム色の長い4本のキャンドルを立てると、キャンドルの色と材料の調和がとれた手作りの「アドベントクランツ」が出来上がりました。最後に出来たてのアドベントクランツを礼拝堂に飾り、参加者一同記念撮影をしました。クリスマスの準備に参加し楽しい時を持つことが出来ました。来年は是非あなたも参加してください。藪本先生、ご指導ありがとうございました。
編集後記
2014年もあっという間にアドヴェントの季節になりました。11月22日に作成したアドヴェントクランツのおかげで、よりいっそう待降節の気分が華やかになりました。「島之内教会だより」第27号をお発行できて感謝です。カラー印刷機のおかげで、カラフルな写真や素敵なデザイン構成で見た目も楽しげなものになっています。皆さんに楽しく読んでいただけたら幸いです。
(河野まり子)

このページのトップへ戻る

Adobe Reader

PDF形式のファイルをご覧になるには、Adobe Systems Incorporated (アドビシステムズ社)のAdobe® Reader®が必要です。