2020年度宣教方針

 

年間聖句
『何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて
与えられる。だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の
労苦は、その日だけで十分である。』

 ものごとの計画、設計図を表す言葉に「青写真」という言葉があります。どんな建築物にも、またどんな飛行機や自動車にも、その完成予想図を示した「青写真」があります。
  また、讃美歌21-575の1番の歌詞に「球根の中には、花が秘められ、さなぎの中から、いのちはばたく」という言葉があります。球根やさなぎの中にも、将来姿を現す完成予想図である「青
写真」が秘められているということでしょう。
  『世界に一つだけの花』の歌には「世界に一つだけの花、一人一人違う種を持つ、その花を咲かせることだけに一生懸命になればいい」という歌詞があります。誰の人生にも、その人のしか咲かせることのできない「青写真」があるということでしょう。
  そして、「青写真」とは「本来あるべき姿、実現されることを待っている理想の設計図」と考えると、あらゆる出会いや出来事には、すべて「青写真」があることに気づかされます。つまり、私たちが人生で出会うあらゆる物事や人間関係には、本来あるべき姿、「青写真」が存在し、めざすべき地点があるということです。
  けれども、たとえば苦手な人と出会った時、私たちは「嫌だな、できれば関わりたくないな」と思ってしまいます。しかし、そういう想いを砕いて、その人と良好な関係を築こうと努力していると、なぜ、この出会いが与えられたのか、その意味を知るような体験をさせていただくことがあります。また、解決するのが困難に思われるような試練や問題に直面した時も、「できるか、できないか」にとらわれると、心が疲弊してしまい、試練や問題を解決することができなくなってしまいます。しかし、「どんなものにも青写真があり、最善の道」があると思うことで、必ず答えが存在することを信じることができるようになり、あきらめることなく一心に答えを探すことができるようになります。どのような答えが出るのか、それは分かりませんが、そのような態度で生きるのと生きないのとでは、私たちの人生に決定的な違いがあることは明らかです。
  人生に現れる結果=専門知識 x 能力 x 心
 という数式があります。専門知識と能力がいくら優れていても、マイナスの心であれば、それによって現れる現実はマイナスのものでしかないことを表したものです。利己心、欲得、妬み、怠惰、恐怖、不安、・・・、いくつものマイナスの心をあげることができます。プラスの心は、愛、寛容、節制、誠実、柔和などがあります。つまり、マイナスの心で、いくら最善の道、青写真を求めても、それは見つけることができない、ということです。
  私たちは、あらゆる出会いや出来事には、神様のもと、実現されることが待たれている青写真があることを信じるものでありたいと思います。イエス様は「明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む」と仰ってくださっています。激動の時代、不安ばかり募らせていては青写真を実現することは出来ません。何よりもまず、神の国と義、すなわち神様のもとにある青写真を求めて、1日1日、誠実に、為すべきこと為し、出会うべき人に出会い、赴くべきところに赴くものでありたいと思います。



2018年度宣教方針

 

年間聖句
『わたしの目にあなたは価高く、貴く、わたしはあなたを愛している』
(イザヤ書43章4節)

 イザヤ書43章4節は、「すべての人は、神に愛されている大切で、かけがえのない一人ひとりである」ことを示している御言葉です。私たちは、このことをお伝えする使命があります。

 島之内教会ホームページの「教会の願い」に、つぎのように記されているとおりです。
 「主イエス・キリストの降誕、十字架、復活によって、例外なく、すべての人が神様の愛する大切な一人一人であることを聖書の教えに従って、お伝えしたいと願っています。
また、「登録有形文化財」に指定された「島之内教会」を地域の人々の協力を得て永く保存したいと願っています。そのためにも、地域の人々や、より多くの人々に開放したいと思っています。」

 そのために、何よりも聖書のみ言葉に聞き、礼拝を重んじることを大切にしてゆきたいと思います。宗教改革者マルティン・ルターは、たくさんの讃美歌を作詞作曲した人ですが、彼にとって音楽とは、単なる学芸でもたしなみでもなく、神の被造物であり「最も美しく、最も素晴らしい神の賜り物の一つ」でありました。新しい年度も、音楽の賜り物に感謝し、豊かな礼拝を心がけてゆきたいと願っています。

 聖餐式は、毎月第一日曜日に行い、キリストの愛を心に刻みつける時としたいと思います。茶話会や愛餐会も、主にある交わりを育む大切な機会です。仕事を持つ方々には平日の集会に参加することは難しいことですが、多くの方々に毎週木曜日の「聖書に親しむ会」に出席していただき、み言葉に聞き、共に祈る時を持っていただければと願っています。「執り成しの祈り」においては、お互いに相手のことを覚えて祈り合う時を持ちたいと思います。

 「開かれた教会」として教会をコンサートなどの文化活動に開放することについては議論されてきたたことですが、今後も、音楽、講演会、落語会など、執事会の議を経てさまざまな方々に開放してゆきます。

 毎年、キリスト教主義学校に通う生徒たちが礼拝に出席します。なかなか定着することにつながってゆきませんが、キリスト教主義学校とも連携し、若い世代への伝道にも努めてまいりたいと思います。

 石井記念愛染園とは100年を超えるお付き合いの縁があります。入園式、創立記念礼拝、クリスマス礼拝、石井十次召天記念礼拝など、ご奉仕をさせていただきます。

 最後に、教会の再生について一言触れさせていただきます。

1989年公開のアメリカ合衆国の映画「フィールド・オブ・ドリーム」は、主人公がある日の夕方ふと謎の声(“If you build it, he will come." = 「それを造れば、彼が来る」)を耳にし、周囲の人々があざ笑うのをよそに、何かに取り憑かれたように生活の糧であるトウモロコシ畑を切り開き、小さな野球場を造り上げてゆく物語です。この野球場をめざしてたくさんの車が列をつくっている最後のシーンに私は胸が熱くなります。パウロは「知る力と見抜く力とを身に着けて、あなたがたの愛がますます豊かになり、本当に重要なことを見分けられるように」(フィリピ1章10節)祈りますと言います。私たち自身が、もっともっと成長し、キリストの愛を伝えることのできる者となることができれば、人は集まってくるということを、この映画は示唆しているように思いました。 

 2018年度の歩みの上に、神の祝福が豊かにありますように祈ります。




2015年度宣教方針

牧師 木戸 定

年間聖句
『私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。』
(エフェソの信徒への手紙2章10節)

 主の豊かな恵みのうちに、2015年度の歩みを始めることができますこと、心より感謝申し上げます。

  かつて、預言者エレミヤは失意のどん底にあるバビロン捕囚の民に「わたしは、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、と主は言われる。それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである」(エレミヤ書29章11節)と語りました。このメッセージは、今の時代を生きる私たちにもあてはまるものです。

2015年度、神さまは私たちのためにどのような計画を実現しようとされているのか、私たちには分かりませんけれども、将来と希望を与える計画が神さまのもとにあることは確かなことです。

  モーセに導かれてエジプトを脱出したイスラエルの民がエジプトの軍隊に追跡され、行く手を葦の海に阻まれ、パニックに陥った時、モーセは彼らにこう語りました。「恐れてはならない。落ち着いて、今日、あなたたちのために行われる主の救いを見なさい」(出エジプト記14章13節)と。そして、彼らが体験したことは、紅海が真っ二つに割れ、一筋の道ができ海を渡ることができ、追跡してきたエジプト軍は海に呑み込まれてしまうという奇跡でした。

  新しい年度、主は「力ある御手と御腕を伸ばし、大いなる恐るべきこととしるしと奇跡をもって」(申命記26章8節)わたしたちを導いてくださると信じるものです。
  そして、私たちが忘れてはならないことは、私たちの「思い」と神さまの「ご計画」とは必ずしも一致するものではないということです。時には修正を迫られることもあります。神は、私たちにどう生きよと言われているのか、そのことを日々問いかけながら、歩んでゆかなければなりません。

  そこで、年間聖句として掲げさせていただいたのが、標記の御言葉です。
  主日礼拝を重んじ、御言葉に親しみ、祈りと主にある交わりを通して、また奉仕のわざに励みながら、励まし、癒し、気づき、砕きが与えられながら、 神の作品として、良い行いに励むものでありたいと願っています。

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