島之内教会たより -2008年8月第1号発行-

「高慢は偶像崇拝に等しい」

牧師 大門義和

ある他教派のクリスチャンの方から相談のお電話がありました。教会の依頼で、自宅で初めて教会の家庭集会をされました。その数日後、牧師から自宅にある仏壇は偶像だから処分しなさいと言われたそうです。庭で燃やそうか、捨てようか迷っていますとの相談でした。
先ず、私は言いました。私は実家で生活していますが、家には仏壇も神棚もありますよ。私たちは仏壇や神棚に手を合わせることも、拝むこともしませんが、クリスチャンでない姉妹が来たとき気持ちよく手を合わせられるように気を使い、配慮していることを話しました。また、信仰が違っても、親や先祖が信じてきた信仰心を見下したり、軽蔑したり、笑うことが偶像崇拝であることをサムエル記上15章からも話しました。

サムエル記上15章は日本の教会にとっても、私の牧会の姿勢としても実に大切な御言葉だと思っています。アマレク人との戦いで、神様がサウル王に命じたことは、「アマレクの属するものは一切、滅ぼし尽くせ。男も女も、子供も乳飲み子も、牛も羊も、らくだもろばも打ち殺せ。容赦してはならない」という厳しいものでした。ところが戦いに勝ったサウル王は神様の命令以上に神様に喜んでいただきたいと思って、最上のものを主への供え物として残しました。また、敵のアガグ王の命を助けます。この優しい心は人間的には褒められて当然のように思えます。しかし、このことでサウル王は王座を退けられます。預言者サムエルはサウル王に言いました。「主が喜ばれるのは、焼き尽くす献げ物やいけにえであろうか。むしろ、主の御声に聞き従うことではないか。見よ、聞き従うことはいけにえにまさり、耳を傾けることは雄羊の脂肪にまさる。反逆は占いの罪に、高慢は偶像崇拝に等しい。主の御言葉を退けたあなたは王位から退けられる」(サムエル記上15:22-23)。
聖書は、神社仏閣を拝むことや彫像などを信仰の対象とすることを偶像として否定していますが、それ以上に大切な教えはそれらを見下し、笑い、軽蔑する私たちの「高慢な心」を偶像崇拝として否定しているのです。

相談者に言いました。お寺さんに持って行って、永代供養をお願いするも良し、燃やすのも良し、捨てるのも良し。問題はそれをあなたはどのような思いで、心でするかです。仏壇を偶像として、軽蔑の心でするならば、実は、仏壇が偶像なのではなく、あなたの心が偶像なのですよ。高慢にならず、ごめんなさいと謙虚な心ですれば良いのではないか、と話しました。相談者は、「もう一度、よく考えます」と言われたので、「考えるのではなく、神様の導きを求めて、聖書の御言葉によく聴き、お祈りしなさい」と言い、電話でお祈りをさせていただいて電話を切りました。

私たちは、一番言いたいことを言ってはならないのです。それは人を惑わせることになるのです。信仰者は自分の信仰、自分の考えや意見を一番正しいかのごとく思い込んでしまいがちです。だから、人を正して上げなければと正義感に燃えて、一番言わなければならないと思うことを一番に言ってしまいがちです。それが人を傷つけていることに気づかないのです。家庭や職場や教会であっても、一番言いたいことを言わずに、心に留めることが大切です。それが人間の本当の教養と言えます。

あの人が間違っているのだから正してあげようと思う高慢が偶像崇拝なのです。それなら、語らないこと、教えないことが良いのでしょうか。そうではありません。主イエスを信じる者がなすべきことは、その人のために「執り成しの祈り」を神様にすることです。その人自身が気づくことができるように祈ることです。祈りが信仰者の最大で最高の奉仕です。

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大門義和就任式の感想

川島信一

島之内教会の新しい出発の時、そういう思いで式(5月25日)に出席しました。

島之内教会は、大阪・南の繁華街の中にある教会として、どのように教会を形成していくのか、どう伝道していけばいいのか、試行錯誤を繰り返してきました。今、外へ向けての活動は整理され、礼拝出席数も30名台となり、若い方たちの出席も減りました。

このような時に。神は、大門牧師を遣わしてくださいました。島之内教会が動き始める時と期待しています。

就任式は盛会でした、東京をはじめ日本各地の方々が出席してくださいました。茶話会ではたくさんの方々からの祝辞がありました。私は、島之内教会は繁華街のなかに孤立しているのではない、日本中のキリスト者と共にあるのだと強く思えました。

しかし、それとともに、島之内教会の教会員の出席が少なかった(私はもうすこし、いつも礼拝に出席している以外の教会員が出席してくださればと思っていました)のが残念です。

私は、島之内教会100周年の頃、「この教会は何時までここに存在し続けることができるのか」と考えたことがあります。その時思ったことは「神様が、ここに島之内教会があることを必要と思われるかぎり、島之内教会はここに存在する」ということです。

そして、私は今、「ここで礼拝が守られ、外に向かって福音が述べ伝えられているかぎり」島之内教会は存在し続けると思っています。

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大門牧師・奥様に感謝して

川見佳代子

大門牧師就任式を終え、六月になりましたが、もうずっと以前から大門牧師、奥様が島之内に居られる様な錯覚を覚えるのは私だけではないと思います。 司会、聖歌隊の練習、昼食の準備等、少し早く教会に来ることが多いが、いつも明るく、優しく、声がけをして下さる先生夫妻に頭が下がり、感謝の念でいっぱいです。 教会の雰囲気も明るく、皆様の笑顔が心から涌き出てきていることが日々感じられて、私の胸もワクワクして来ます。皆様もこの日を心待ちにしていたに違いありません。「絶えず祈れ」の御言葉通り、本当に今は恵まれた祈りの恵みに満ちた日々を迎えることが出来、感謝にたえません。

本当に信仰の道を歩めること、主に選んで頂いたことに今更ながら感謝の日々です。 大門牧師、奥様の今後もずっとずっと御健康に恵まれ、主の豊かなお守りが続きますこととを切に祈って拙い文章を終えます。

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45年前の夕礼拝

黒田正純

大門牧師が就任されてすぐに50人の朝の礼拝をと、具体的な目標でその分かり易さに私も真剣に取り組みたいと願っています。私にとって日曜日の礼拝は新しい1週間の大切な区切りでした。私に忘れられない夕礼拝があります。最近私の年金記録に3年間の未納があることを知り、その裏づけに古い日記を取り出して読みはじめました。10代の頃から日記を書いていますが特に私の独身の時には実に多くの分量を書き残しています。1963年5月19日の日記からその日の夕礼拝について、原文のままに書いてみます。

「夕拝参加。中島先生よりダニエル書を学ぶ。よい講義であった。声にも張りがあって聞く者の耳をそばだてた。講義する中島さんの顔を注視して先生の口から出てくる言葉のひとつも聞き逃すまい全精神を集中する。眠りを覚えなかった。深い感銘を与えた。屋上でひと時を過ごして私の心も浄化していたようだ。すんだ心になっていた。その心が中島先生の講義を素直に受け入れ、より大きなものとして私にうえつけた。礼拝出席者は少数であった。西原先生夫妻、中島先生夫妻を除いた出席は僕を入れて4人だけであった。礼拝終了後、教会を出た。店への帰り道、僕の心は寂しかった。深い感銘を得たのであったが何かが足りなかったのだ。先生の講義に何かが欠けていたというのでない、私の心に何かが欠けていたのだ。店への足どりは重く心は沈んでいた。よろこびは私の顔から消えた。感受性が鋭くて人より多く感ずるのであろうか。」以上原文のまま

45年前のあの私の独りの歩みに、今はイエスの足音を聴くことができるようになったかも知れません。けっして強くない私がイエス・キリストに祈りつつ語りつつ生きた私の45年間のように思います。

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編集後記

編集委員長:岩木要・黒田正純

ようやく第一号を皆様にお届けすることが出来ました。第二号からの皆様のご協力(原稿)をお願いたします。小南さんの助力に感謝いたします

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