島之内教会たより -2009年6月第5号発行-

「私の願いではなく、御心のままに」

牧師 大門義和

島之内教会の今年の年間聖句は「アッバ、父よ、あなたは何でもおできになります。この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしが願うことではなく、御心に適うことが行われますように。」(マルコ14:36)です。

自分の思いや希望や感情で語ったり、行動を起こす前に、一呼吸おいて、「わたしが願うことではなく、御心に適うことが行われますように」と心を静めて祈る交わりでありたいと思います。

教会の隣接地の家に長男家族が同居され、お孫さんが幼稚園に入園した。約一ヶ月後、ご主人が、「先生、正直に言うわ、孫が幼稚園に行っていない時は、毎日、園児の声がうるさくてしようがなかった。ところが、孫が通園するようになって、園児の声が天使の声のように思えるようになったわ」と笑って言ってくれました。同じ子供の声でも、そこに一人の愛する孫がいると思うだけで、雑音、騒音が天使の声に変わります。勿論、急に騒音が天使の声に変わったのではない。聴く者の姿勢、思い、心が変わったのです。

教会から聞こえてくる讃美歌を喜んで聞いていて下さる隣人がいる教会もあります。隣人から「うるさい」と拒否されている教会もあります。教会の塔や玄関に付けた鐘を近隣からの苦情で一度も鳴らせない教会もあります。このような苦情や拒否は地域の人々が教会を誤解しているのでしょうか。逆に教会が地域の人々の心を理解できていないのではないでしょうか。

ある教会は伝道集会のために、3000枚のチラシを地域に配布した。来られたのは一人でした。教会員は教会の招きに応えない地域の人々の無理解を嘆いた。それを聞いた新任の牧師は、地域社会から何も期待されていない教会側に問題があると思われた。彼は地域を歩き、地域の人々との交わりに参加して、教会への理解を深めたり、また地域の会合に教会を開放したりして、次第に教会が地域に不要な存在ではなく、必要な存在となっていきました。

なぜ、教会が地域社会から何も期待されない不要な存在となるのでしょうか。主イエスは「聞いて悟りなさい。口に入るものは人を汚さず、口から出てくるものが人を汚すのである」(マタイ福音書15:10)と教えています。人から誤解、無視、批判を受けても、それが私たち(教会)を汚すのではありません。私たちが人をどのように理解し、どのような言葉を語り、どのような行為をしているか。その言動が人々を失望させ、教会を汚すのです。すなわち人々から教会が見捨てられ、裸の王様になってしまうのです。

人々が主イエスを救い主として受け入れるためには私たちの態度が問題なのです。私たちが主イエスを正しく宣べ伝えるためには、語る前に、行動を起す前に、怒る前に、主なる神様の前に、静まり、「御心のままに導いてください」と祈れることが不可欠です。この祈りが私たちの信仰を清め正す訓練です。「御心のままに導いてください」との祈りを忘れますと信仰の私物化が起こり、教会は主イエスの教会ではなくなります。

家族や隣人に教会が受け入れられるために最も大切なことは何でしょう。それは年間聖句を忘れず、祈り続けることです。地域に愛されることが目的ではない。主イエスの御言葉を信じ、キリストを見上げて、一つになって集まり祈っていた時に、主イエスの教会は誕生し、祈りの中で成長してきました。私たちの祈りが神様に祝される時、人々は教会へと導かれるのです。

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故西原明牧師記念礼拝式(午前10:30)
故西原明牧師記念音楽会(午後2:00)

黒田正純

7月26日(日)午前と午後に上記の集会を実施し、故西原明牧師を偲ぶ礼拝を守ることを決めました。当日はご家族の皆様もおいでになりますので、皆様どうぞ御出席くださいますようお願い致します。西原牧師は島之内教会第12代牧師として、1966年より1998年3月31日までの32年間当教会でお働きになりました。2009年4月18日午後6時35分、大腸癌のため救世軍ブース記念病院ホスピス病棟にて天に召されました。80歳でした。牧師として、教会関係をはじめ音楽関係、演劇関係、特に晩年は自殺防止のお働きなど多方面の方々とお交わりをされ、自身は脳梗塞、大腸癌などの病と闘っておられましたが、それらをものともせずお働きになりました。4月21日東京で行われました前夜式に出席させて戴きました。前夜式で歌われた愛唱讃美歌は第一編の286番「神はわがちから」と461番「主われを愛す」でした。若い頃からご一緒に教会学校や礼拝で歌った、分かりやすい美しい旋律の讃美歌です。東京に移られる前、西原牧師の活動の場は、関西、特に大阪でしたので、東京に出かけられない方々を中心に島之内教会で是非記念会をやろうとの多く方の申し出に関西室内楽のメンバーが中心になって島之内教会も協力して準備、演奏会を開くことになりました。午前の礼拝、午後の演奏会と続きますが皆様、是非お出かけのほどお願い致します。

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ひとりごと

岩木要

少子化が社会問題となって久しく、その間にも問題解決の為の色々な政策がとられてきた。「エンゼルプラン」とそれに続く「新エンゼルプラン」。どれも「帯に短したすきに長し」で根本的な解決になっていないのが現状である。

いつから少子化の傾向になって来たのか、又、その原因は何なのか?親が子育てよりも自分達の楽しみを優先し、「子育ては大変なもの」という意識が今の若い親達の中にはある。又、雇用機会均等法による女性の社会進出の増加、女性の晩婚化(結婚して家庭に入るより仕事をしていた方が楽しい)、男性の育児参加の不足による「女性は子どもを生み育てるだけの存在ではない」という女性の意識の芽生え…。

昔、子育ては家族全員で、近所・地域ぐるみでやっていたものだが、今は核家族化や近所意識の低下により、ひとつの家庭の負担が増している現実もある。

保育園の開所時間は朝7時から夜7時までで、親子関係においても、親は忙しい忙しいと言いながら園に子育てを任せっきりにしている親も多い。若い親に対し、一番大切な時期の0歳〜6歳までの子育ての重要性をいくら言っても、まず自分のことが大事という意識が強い。今の保育は「親教育」の重要性を痛感する。親が変われば子供が変わるのに、中々難しい。園に来ることによって、変わった子供の姿を見て、親が心を入れ替えてくれることを期待しつつ。

園のまわりには十字架ひとつ見えないけれど、子供は毎朝かわいい手を合わせて神様にお祈りしている。入園して、真っ先に家に帰って親に歌ってあげるのは「神様良い子にして下さい」の歌で、年長組になると神様のお話の敏感期で自然に神様が大好きになる。外遊びの時には「神様のお心を使って」と言う。

厳しい様々な環境の子が多いけれど、神様が当園に与えて下さった、子供、親、職員を思い、祈りながら神様に近づけたら…と思う。

いつも神に感謝しながら…ある日の独り言より

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