島之内教会たより -2008年12月第3号発行-

「クリスマス −創造主の愛―」

牧師 大門義和

日本の古い言葉に「一家に一人の悪人がおれば、その家は円満である」という教えがあります。悪人とは、犯罪を犯した人という意味ではありません。子供や孫がいたずらをしても、子供や孫を責めるのではなく、私が悪いのですと責任を取る人がいる家庭が円満であるという意味でしょう。

私なども、子供と時、いたずらをして、近所のおばさんがよく、「うちの子供をいじめた」などと、私のことを怒りに来ていました。その都度、祖母が仏壇の前に行って、「義和が悪のは、私のせいです」と手を合わせていました。家庭や教会や国にも、他の人を責めず、「悪いのは私です」と責任を背負い、執り成しの祈りのできる人が一人おれば、どんなに周りの人が助かることでしょう。

主イエス・キリストの御降誕は実に驚くべきことが起こりました。正しい一人の人、主イエスの御降誕によって、私たち全世界の人間の罪が例外なく赦され、救いと祝福の恵みにあずかれるようにして下さいました。クリスマスの出来事は、「実に、すべての人々に救いをもたらす神の恵みが現れました」(テトス書2:11)の教えのように、例外なく、全ての人々に与えられる神様の救いの恵みの「しるし」なのです。

クリスマスの出来事は私たちの常識では理解できません。人間的な常識では、正しい人が祝福を受け、悪い人が裁かれるべきです。しかし、クリスマスの出来事は、正しい神様の独り子である主イエスが裁かれ、裁かれるべき罪人が赦され、祝され、救われるという驚くべき出来事なのです。

主イエスは正しい人や信仰深い人だけの救い主ではなく、例外なく、すべての人々の救い主として御降誕されました。主イエスは教会だけの救い主ではなく、全世界の救い主です。主イエスはクリスチャンだけの救い主ではなく、クリスチャンでない方々の救い主でもあります。主イエスは正しい者の救い主であり、同時に罪人の救い主です。

神様は創造主の責任を最後の最後まで背負っていて下さいます。すなわち、罪人の中の罪人のためにも、怠け者の中の怠け者のためにも、偽善者の中の偽善者のためにも、無責任者の中の無責任者のためにも、殺人者の中の殺人者のためにも、神様は創造主であり続け、創造主の責任を負って下さいます。「お前が悪いのではない、私が悪いのだ」と言って責任を背負ってくださいます。その具体的な「しるし」が主イエスの生涯です。クリスマスの主イエスの御降誕であり、十字架の贖いの死であり、全ての人々に無限の希望を与える復活です。

信仰者とは自分の正しさを誇る人ではありません。むしろ、いくら決心して後言葉一つも守れない、実行できない惨めな自分に気づくことです。何かを出来ること以上に大切なことは、出来ない自分に気づくことです。そして、心の底から、「神様、罪人のわたしを憐れんで下さい」(ルカ福音書18:13)と祈れる人間になることです。この祈りが出来ることこそが、人間のたどりつくべき最高の知恵です。

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信仰告白

山ア真美

「わたしたちが神をあいしたのではなく、神が私たちを愛して、私たちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります」(ヨハネの手紙一 4章10節)

私は小学生のとき、近くの土曜学校に友だちの誘いで通っていました。その後一旦キリスト教とは離れてしまいましたが、大阪女学院短大に通う事になり、再びキリスト教と出会いました。行事の一つに修養会があり、講師の一人が島之内教会の牧師先生でした。卒業後はまたキリスト教と離れます。

島之内教会の牧師先生にお会いした縁で、教会を訪れてみたいという気持ちはありましたが、なかなか来れずにいました。そして、今年の4月18日(日)にようやく訪れる事ができました。一度は興味本位で来たのだから通うのはやめようと思った事もありました。しかし、礼拝で大門先生の説教を聴いていると心が癒されていくのです。

通っているうちに、「風韻」を読み、献金者のお名前のところに、後宮俊夫・松代さんのお名前がある事に気付きました。学生時代に何度も読んでいた三浦綾子さんの「ちいろば先生物語」に出て来られた方でした。そして、大門セイ子夫人が榎本保郎牧師の実の妹さんであることを知り、一段と教会が身近に感じ、教会へ来るきっかけとなりました。

皆様と礼拝を共に守っている中で、私もイエス・キリストを信じて人生を歩みたいと思うようになりました。洗礼を受けたいと決心出来た背後に、神様の選びを感じています。「神様が私を愛していてくださっている」との御言葉を信じてこれからもイエス様と共に歩こうと思い洗礼を受ける決心をしました。

お祈りさせていただきます。「神様、このようなわたしを選んで下さりありがとうございます。これからも聖書の御言葉を信じ、あなたと共に歩んで行く事が出来ますように導いてください。このお祈りをイエス・キリストの御名によりお祈りいたします。アーメン。

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島之内教会全体懇談会の感想

川島信一

大門牧師が島之内教会に就任されてはじめての懇談会(2008年9月7日)が開かれ、島之内教会のこれからの在り方を教会員全員で考えていく歩みが始まったのだと思います。

懇談会は、執事や大門牧師よりの資料の説明のあと、出席者全員が発言しましたが、一巡したところで時間ぎれで終わりになりました。「教会の貸し出し」や「エレベーターの設置」などが主な事でありましたが、大門牧師が資料で指摘されたことなどを、皆で討論をすることが必要であると思います。

その一つ。大門牧師資料B 伝道は教会が持つ多くの使命の一つか。
(Church has missionか Church is missionか)

 私はこう思います。島之内教会は何故ここにあるのですか?島之内教会はミナミの繁華街のど真ん中にあり、この地域に住む教会員は少数で、多くは電車で通ってきます、聖日の礼拝に教会員が集まるだけでも大変です。この人の住み難いところに何故存在しつづけているのですか?

       

島之内教会はイエス・キリストの福音を伝えるためにこの地に立てられたと思います。「教会の貸し出し」や「エレベーターの設置」を考えるときにも、伝道が根底になければいけないのです。まず、「島之内教会における伝道」を考える事が大切です。

  1. 1. 島之内の地域の中だけか、大阪全体を考えるのか。
  2. 2. 地域の人たちが対象か、ミナミに遊びにくる人たちも考えるのか。
  3. 3. 若い人たちを主に考えるのか、年配の人たちを対象とするのか。
  4. 4. 教会へ来る人たちを待っているのか、外へ向かって働きかけるのか。

まだまだあると思いますが、まず教会員全体で話し合うべきです。

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コンゴのクリスマス

ンガンガ・イッポ

クリスマスの日(12月25日)、コンゴでは、学校も会社も全てお休みになります。24日、クリスマスイブの日は、家の中も外も庭も道路も、みんなみんな、クリスマスのデコレーションをします。クリスチャンでもクリスチャンでなくても、みんなクリスマスの準備をします。この時期は、どこの家でもホームパーティの準備をするのです。外までクリスマスソングも聞こえてきます。大人は家族や親戚の子供達の為に、プレゼントを買いに行きます。24日のお昼から、みんなでパーティを始めます。夜になると、クリスチャンはみんな礼拝とミサの準備を始め、カトリックもプロテスタントも、みんな教会へ行きます。礼拝は夜の10時過ぎから始まります。礼拝が終わった後、若い人達はバールやクラブへ遊びに行き、朝までみんなで遊びます。家に帰る人は、家に帰ってからホームパーティをします。

25日の朝、子供達はプレゼントをもらいます。『メリークリスマス』の事をコンゴではフランス語で『Bonne fete de Noel』と言い、みんなで喜びあいます。
24日の夜、礼拝に行けなかった人は、25日の朝、クリスマスの礼拝に行きます。お昼からは家でホームパーティをします。町の中はどこでもゴスペルコンサートが開かれ、参加できる人はコンサートに行き、神様に感謝と賛美をします。

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