2010年9月12日の説教要旨

「傷を受ける証人」

使徒言行録 22章

パウロはエルサレムへ行けば、投獄と苦難が待ち受けていることを聖霊によって知らされていた。弟子たちの反対を押し切って、「主イエスの名のためならば、エルサレムで縛られることばかりか死ぬことさえも、わたしは覚悟しているのです」(21:13)と語って、エルサレムへ行った。聖霊の教え通り、パウロを捕え、都全体が大騒ぎになった。

それでも、群衆はパウロの話を静かに聞いていた。パウロの生い立ち、ダマスコ途上の出来事、アナニアとの出会い等を静かに聴いていた。ところが、パウロが、ところが、パウロが「異邦人のために遣わされる」(21)と語ると、群衆は声を張り上げてパウロ批判を始めました。正統的ユダヤ人は、異邦人を汚れた民と信じ、神様も彼らをかえりみない、祝福ない、救われないと思っていた。異邦人の救いはあり得ないし、あってはならないと確信していた。これは人間社会では繰り返し起こしている罪の業でもある。

パウロはキリスト者にならないで、ユダヤ教の中におれば、エリート中のエリートとして、何に不自由なく過ごせたことでしょう。神様に用いられたために、その生涯は苦難の連続でした。第2コリント11:23以下でパウロが書いてきますように、「苦労したことはずっと多く、投獄されたこともずっと多く、鞭打たれたことは比較できないほど多く、死ぬような目に遭ったことも度々でした。ユダヤ人から40に1つ足りない鞭を受けたことが5度、鞭で打たれたことが3度、石を投げつけられたことが1度、難船したことが3度。一昼夜海上に漂ったこともありました。しばしば旅をし、川の難、盗賊の難、同胞からの難、異邦人からの難、町での難、荒れ野での難、海上の難、偽の兄弟たちからの難に遭い、苦労し、骨折って、しばしば眠らずに過ごし、飢え渇き、しばしば食べずにおり、寒さに凍え、裸でいたこともありました。このはかにもまだあるが、・・・」と主イエスの名のために誰よりも多くの苦難を、苦労を味わいました。その苦難と向き合って受けた傷によってパウロの信仰は新たにされ、深めらられた。また、主イエスの名が広められていった。

神様は私たちの喜びを祝福するのではなく、苦難や涙を祝福し、用いて下さる。神様は迫害で逃げ惑う小さな者、弱い者を用いて神様の御用を実現される。弱くされること、見下げられること、非難されることは辛く悲しい。しかし、その傷から神様の祝福を頂ける。涙を流す辛い場所から逃げてはならない。なぜなら、そこが神様から祝福を受ける恵みの場所である。 パウロの全身は主イエスの名の為に受けた無数の傷があった。私たちは主イエスのために、どれ程の傷を自分の心に持っているだろうか。

私たちは批判を受けることを出来るだけ避けようとしていないだろうか。出来るだけ傷を受けないように生きていないだろうか。

信仰に生きるためには、いつもためらいがある。ためらうパウロに「今、何をためらっているのです。立ち上がりなさい」(16)と促す。また、「急げ。・・」(18)、また、キリスト者を迫害していたことで躊躇するパウロに、主は、「行け。わたしがあなたを遠く異邦人のために遣わすのだ」(19)と命じた。

どんなに人がうらやむような人生であっても、神様に用いられた人生でなければ意味がない。人に見下げられても、笑われても、失敗ばかり繰り返していても、神様に用いられる人生が最高である。神様と共に歩む人生が最高である。

神様は、ダマスコ以前の強い、立派な、知識と教養に富んでいたパウロを用いられたのではない。目が見えなくなり、撲滅したいと思っていた憎きキリスト者アナニアに頭に手を置いて祝福を祈っていただいた。ある意味では屈辱的な体験をしたパウロを神様は祝福し用いられた。過去の栄光を失い、自信を無くしたパウロを神様は祝福し、主の御用に用いられた。

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